老害と言われてしまう老後は悲しい
友人の故郷は山里にある有名な観光地で昔の面影を残し、かつてはとても人気がありました、私も何度も行きましたが、タイムスリップしたかのように、時が止まったかのような町並みでした。
そこでの町興しの対策は、昔のままをキープすることでした、電信柱は家屋の裏手に移動させ、新築の家は黒くすすけた趣にしました、メインロードに建つ家は、ほぼ昔のままです。
そういった村の努力もあって、かつては相当の賑わいで、観光客もどっと押し寄せたそうです
お土産屋さんも食事も出来ないほど忙しく、随分と儲かったそうです、只、最近ではめっきり観光客は減り、いくつかのお土産屋、旅館は後継ぎも客もいなくて、戸口は閉まったままになり、観光業だった人々は現在は苦境にあるようです。
かつては人気観光地だった
ネームバリューもあり、観光資源もあり、交通の便も良い、それでも観光客はなぜ、遠のいたのでしょう?
日本でも、ある現象が関係あります、映画、ドラマ、マスコミで舞台になったり、取り上げられると、たちまち有名になって、観光客が押し寄せます、どこの観光地もマスコミに取り上げられようと町興しに躍起になりますよね。
ですから各自治体はどんどんとアピールします、いろんな知恵を絞り、キャラクターを創り街一丸となって誘致も勧めたりしています。
そんな中、友人の故郷ではそれと逆行しており、世間に迎合するのを避けているようです、町人はそんな状況に怒りと諦めが入り混じった様子のようです
日本の市町村は過疎化が進んでいます、友人の町も若者や中年層も少なく間違いなく過疎地なのです。
そのせいもあり、町の運営は先祖代々住んでいる年寄りが権力を握るのです、その年寄り達の権力により、昔のままの町並みを保存することが出来ました、しかしながら、観光客が来なければ、住民は不便とさびれた街並み保存に振り回されます。
その権力者たちのおかげもあって、昔ながらの街並みを保存出来たという経由もありますが、昔の繁栄を忘れず、プライドが高いままでは観光客は来ないのです、繁栄の時代の記憶から、抜け出せないままなのです。
その権力者たちは、かなりの高齢で町の功労者達ですから、誰も異議を申し立てられないのです、その町は古き日本の町並みが人気でした、ですからCMの撮影の話や海外からの映画の申し入れもあったようですが、すべて頑固に断ってしまったようです。
大抵の自治体なら喉から手が出そうな話です、そういった申し出が欲しいためにや躍起になって知恵を絞り、努力している昨今です、それだけではなく、その町の長老たちは、若者向けのポップな店の出店やお店の貸し借りもすべて御法度にしています、長老はいつまでも生きていません、これからを生きるのは若い人たちですから、考えを切り替えられず、柔軟な思考を失くした先に光はありません。
ですから、住民たちは、それを苦々しく思うのは当然です、住民たちはその権力者達を密かに「老害」と囁きます。
権力にしがみつかない、老後に権力は不要
その権力者達は、かつては甘い汁を吸いましたが、今は閑古鳥のようになってしまった町は、かつての繁栄や観光収入はありません、「老いては子に従え」と言われるように、いつまでも頑固に権力を握っているのは「老害」と囁かれても仕方ありませんまさに「老害」そのものです。
昔の面影は頑なに残しつつ、時代に合わせて、現代にマッチするものでなければ、これからを生きる町人達は救われません、せっかくの昔の町並みがあっても後継者はいなくなり、町はさびれ続けるだけです、潔く引き下がり、これからを生きる人にすべてを任せることです。
日本の政界も財界も一部の人には、老害ばかりと言われてしまいました、人間は権力を持つといつまでもしがみつくものですが、長くない人生に権力は不要です、これからを生きていく人に譲るべきです、持つものは「権力」ではなく「知恵」ではないでしょうか。